再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 RUMPLER TROPFENWAGEN
1921年に発表された、TROPFEWAGEN。世界最初の流線形の車のひとつでフリッツ・ラングのSF映画METROPOLISに出ていることでも有名です。当時の一般的な車はCD値が0.6という今から見るとあり得ない数字だった頃に0.28という現在でも十分通用する値を出していました。2,580ccのエンジンを車体後部に配置し、最高速度は110km/hを記録したそうです。
しかしながらトランクルームの不足や当時としては先進すぎたデザインが災いしてか、100台程しか売れなかったようです。ちなみに乗降性の良さからタクシーとしても使われていたとのこと。乗ってみたかったですねぇ。
昔の車をリデザインしたような車が多い昨今、どこかのメーカーが造ってくれないものでしょうか。せっかくですので、電気自動車にするといいかもしれないと妄想しております。
こちらはベルリンのドイツ技術博物館にあったものです。後部座席が広く取られています。タクシー用だったのかもしれません。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 自転車
交通センター館には鉄道、車、オートバイの他に自転車も収蔵されています。環境対策の重要性が増している昨今、自転車通勤に対する手当など、ある意味自転車に回帰する雰囲気もありますよね。
当時の自転車工房。今のとあまり雰囲気は変わりませんね。このおじさんがマイスターってやつか・・・やたらリアルなのも納得。
こちらは女性用の自転車。優美なデザインでスカートでも乗り降りし易くなっています。
メーカーはMiele。掃除機などの電化製品でこちらではお馴染みのメーカーです。
こちらは男性用。直線的なデザインですね。
フランスでは大人もよく乗っているキックボードのご先祖。
子ども用の豪華三輪車。
この自転車は文字通り、ペダルを踏んで進むようです。脚の筋力が上がりそうですね。
最後はこの独創的な二輪車。カッコ良すぎ。曲がる時にコツが要りそうでかつブレーキもどのようにかけるのか不明。乗りこなすには時間がかかりそうですが、注目度は抜群でしょう。
新型EUROSTAR
1994年よりパリ~ロンドン間を海底トンネルを経由して結んでいるユーロスター、開業当初は所要時間2時間55分でしたが、その後英国内の線路改良などを経て今では最速2時間15分と、驚きの速さで運行しています。開業から20年以上経過し、新型車両が運行を始めました。それまでの仏アルストム社から独シーメンス社への変更です。ドイツ通らないのに、シーメンスを走らせるという仏にとっては少し面白くない事態となっています。ロンドンからアムステルダムやケルンへの延伸を見越したのかなぁ。
北駅での新型。やはりきれいですね。車内(二等車)の様子。基本的には集団見合い式なのですが、4人向かい合わせの席が増えました。清潔でよいのですが、シートの背もたれが高い!頭の位置が全く合わなかったですね。
Barは少しうす暗く、冷たい感じでした(従業員は感じ良かったです)。ここらへんのデザインは仏企業の方が良かったんじゃないかなぁ。
旧型と変わり、動力分散式でしたが静かで快適でした。この新型(e320またはclass374)は先述の通り、独シーメンス社のVelaroを元ネタとしています。旧型に比べ座席は150席増、最高速度は20km/h増の320km/hとなっています。
ロンドン・セント・パンクラス駅にて。なんとなく魚っぽいですね。
元ネタのVelaro。東駅で見られます。
連結器を見せたところ。ますます魚っぽくなりました。鯉かな?
ちなみに従来型のユーロスターの一部は更新工事をうけてカラーリングが新型と合わせられています。が、車内の様子は従来のモノと全く変わりません。デッキと客室の間のドアが閉まらなかったりしてました。。。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 商用車
この博物館には商用車も多く収蔵されていました。
1960年頃のMERCEDES-BENZのトラック。マークが三つもついていますが、正規の仕様なのかは謎。MAGIRUS-DEUTZ社のURANUS。大型トラックです。燃料タンクは240Lという大容量。このMAGIRUS-DEUZ社は現在IVECOの一部となっています。この会社、マークが力強くてかっこいい。余談ですがIVECOはIRISBUSも統合してしまったし、どんどん巨大化していますね。。
このクレーン車は16t吊り上げる事ができるというので、脱線したトラムの復旧用としても使われていたそうです。その場面が再現されています。
1924年製KRUPP社の道路清掃車。KRUPPといえば現在の重工メーカーとして有名なThyssen-Krupp社にあたります。ちなみにパリのCDG空港のエレベーターもThyssen-Krupp。
水タンクから水を撒きながらブラシで道路清掃をしたんですね。
1959年製のSETRA S11。独自のself-supportingという形での車体製作のおかげで初のパノラマルーフを備えたバスを作り上げました。このself-supportingのドイツ語から社名:SETRAとなりました。現在はダイムラー傘下となっております。
私としてはこのどっちが前かわからなくなりそうな、後姿が気に入りました。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 アウトウニオン
今や確固たる地位を築いた独AUDI。当地でも高速道路でかっとばすのは、アウディ、ポルシェ、メルセデス。などとなっています。その前身はアウトウニオンと呼ばれていた、HORCH、DKW、AUDI、WANDERERの4社が合体した会社でした。なのでマークが4輪なのは有名なところ。
まずは1931年製DKW F1ROADSTER。なんと数週間で開発されたそうです。オートバイのエンジンを流用し、当時としては珍しいFF車。4,000台売れたそうです。
安価な2シーターを目指した様子がはっきりわかる内部。シンプルですね。
そしてこちらは、ご覧のとおりの高級車。1939年のHORCH SPORTS-CABRIOLET Type853 A。車重2.6t、直列8気筒の5,000ccエンジン、燃費は約4.5km/Lという当時の最高級車のうちの一台。ちなみに当時の高級車はだいたい1,500kmごとメンテナンスが必要だったようです。維持費もかなりのものになったことでしょう。またこのHORCH社、元々はメルセデスから独立したHORCH氏が始めた会社なのです。戦前は高級車メーカーとして有名でしたが、戦後は工場が東ドイツ側になったということもあり、経営陣は西側に移りやがてアウディへ。そして東に残った工場は、あのトラバントの生産をしていました。
HORCHとAUTOUNIONの名がありますね。
NSU。AUTOUNIONの4社ではないのですが、買収されアウディの一部となりました。ロータリーエンジンで有名な会社です。
1964年のSPIDER。2,400台製造されたうちの一台。ロータリーエンジン搭載車です。最高速度は155km/hでした。
ちなみにエンジンは後部に配置されています。
こちらは1977年のTT。人気のあったPrinzをもとに製作されました。1,200ccのエンジンで最高速度153km/hを出したそうです。総生産台数は49,327台。
後姿。ランプ類がいいですねぇ。室内高もありそうですし、乗りやすい車だったのではと思います。
そしてこちらがRo80。
色が同じなので同一かと思いましたが、ナンバーが異なるので別物でしょう。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 BMW
ミュンヘンといえばあのBMWの地元です。BMWのBはバイエルンですからね。
二輪車も作っています。こちらは1928年~1930年にかけて生産されたR57。1929年に制作されたBMWの記念すべき第一歩、DIXI。とはいっても当時、第一次世界大戦後に飛行機生産を禁じられたドイツにおいて生き残るべく、自動車業界に進出したBMWなのでオリジナル車両ではありません。英国で人気を博していたAUSTIN7のライセンス生産に乗り出したのです。この車の生産は1932年まで続きました。
時は一気に流れ第二次世界大戦後へ。ドイツ敗戦後、当時の工場が東ドイツ側になってしまい色々苦労したBMWもやっと乗用車の生産に乗り出せることになりました。
1954年から1964年の間に生産されたBMW502、ドイツ車としては戦後初のV8エンジン搭載車、価格は当時の平均年収の4倍という高価格。写真のものは1963年製造のようで、なんと2010年まで走行した後にドイツ博物館に売却されたものです。キドニーグリルは健在ですが現在のスポーティなBMWとは一線を画すデザインとなっています。
重そうなお尻ですねぇ、なんとなく4代目の7シリーズに通じるモノを感じてしまいました。それにしてもBMWのマークとV8のエンブレムの違和感がすごい。
その501/502をベースに1955年~1959年の間にわずか254台が生産された507。登場当社こそイタリア車に負けぬ存在と言われたものの、同時期にあのメルセデス・ベンツ300SLがいたのが災いしてか、米国市場で成功を収めることができず、その後の経営危機の一因となった悲しい歴史となってしまいました。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 ハインケル
ハインケル(HEINKEL)といえば第二次世界大戦中にドイツ空軍のために爆撃機を製造したり、1938年に世界初のジェット機(He178)を飛行させた事で有名でした。また大戦末期にはジェット戦闘機He162 を製造していました。これがそのHe162です。
※写真はベルリンのドイツ技術博物館で撮影したものです。ジェットエンジンを背負っているというユニークな配置です。大戦末期にありがちな実践配備を急いだため色々無理なところが発生し、戦局を覆すには至りませんでした。
こちらは英国で撮ったV-1。ハインケルが開発した訳ではありませんが、このミサイルは飛行機に吊り下げられて発射されたことがあります。その吊り下げた飛行機がハインケルHe111なのです。
そんなハインケルも戦後は飛行機製造を禁止され、活路を陸上に求めました。1954年~1957年に製造されたPERLE。元飛行機屋の魂がそうさせたのか、高レベルの技術を用いて作成しましたが、結果、値段に跳ね返り約27,000台の販売に終わったようです。
1957年製造のKABINENROLLER。イセッタと似たコンセプトの小型車です。性能も似通っていましたが、元飛行機屋だけあってイセッタより100㎏軽かったのですが、製造コストは割高になってしまい、2年間しか製造されませんでした。乗降はイセッタと同じくフロント部分がドアとなりますが、ステアリングホイールは固定されています。
後姿。なんとなく飛行機のキャノピーを思い出してしまいました。
小さな車体に誇らしげなハインケルのマーク。