DIJON
かつてのブルゴーニュ公国でマスタードで有名なDIJON(ディジョン)、人口は約15万人ですが、周辺を合わせた都市圏(Le Grand Dijon)となると約25万人の人口を抱えます。公共交通機関は2004年に改名されたDIVIAという組織が運営しております。2012年にはトラムも復活しました。この街の公共交通システムは今世紀になってから大きく変わったと思われます。
トラムは現在2路線ありますが、どれも同じアルストムのCITADISを使用しています。この車両はイギリスのブレストのと同時に発注されたため、国を跨いで同じデザインとなっています。大量に発注して安くするという狙いもあったのかもしれません。
CITADISなので側面はパリでも見かける形になっていますが、正面はDIJON仕様となっていますね。パリのより優しい感じがします。
カードリーダーが新しいタイプ。
停留所の位置や周りに何があるか、見やすくまとめられています。
トラムの停留所。すっきりとしていていいですよね。
これを見れば、どのくらい待つのか簡単にわかります。日曜だったので、15分間隔という長い間隔となっていました。
路線バスも同じカラーリングです。このようにトラム+バスが一体となってわかり易い料金体系で利用できるのが、フランスの公共交通機関のよいところだと思います。
今回、バスもトラムも乗車する機会はありませんでしたが、PASS1Heure(1.3€)を購入すれば60分間乗り放題です。
SEMUR EN AUXOIS
VEZELAYを後にし、次の目的地SEMUR EN AUXOIS(スミュール=アン=オーソワ)に来てみました。こちらは例の美しい村ではありませんが、DIJONに行く途中にありちょうどよいので、寄ってみました。
冬は天気が悪いのが普通ですが、見事な青空。寒いですがサイクリングしたくなる気持ちもわかります。美しい村だと、規制がかかっているものですが、そうではないのでどんどん市内に入っていきます。
適当なところに車を止めて、散策。やはりシーズンオフが災いしてか、人がいない。寂しい感じとなっていました。
所々に打ち捨てられた建物や店舗があり、みんな郊外の便利な(車で出入りし易い)ところに引っ越していったのかなと思いました。
散策を続けていると、地面にこんなモノが。つけてみました。
百年戦争の真っ只中に、町を要塞化した名残が残っています。
築何年になるのでしょう、木組みの古い建物がありました。
旧市街なので、道が曲がりくねっています。散策するのには楽しいんですよね、こういうの。
今回は車でいきなり市内に入ってしまったのですが、地図を改めて見てみると、アルマンソン川というのが旧市街の南にあり、ここらへんから旧市街を見上げると中世のような雰囲気の町に来た!と実感が沸くのではと思いました。
VEZELAY
フランスには多くの小さな町というか村があり、訪れてみると意外にも素晴らしかったりして驚きがあります。闇雲に訪れるのではなく、ひとつの指針として「フランスの最も美しい村」というのがあります。
www.les-plus-beaux-villages-de-france.org
ここには多くの一定の基準で選ばれた村々があり、どれも素晴らしいものなのではないかと思います。(全体的に南フランスが多いんですよね)
その中のひとつ、パリから約250㎞離れたVEZELAY(ヴェズレー)に行ってみました。
写真が小さいですが、美しい村の看板が出ています。
訪れたのは1月ですが、好天に恵まれました。
作家、ロマン・ロランが終の棲家としたヴェズレー。
坂を上がるように教会へと向かいます。ブルゴーニュ地方ならではのワインの看板でしょうか。
車で進入することもできるようですが、ここは歩くべきでしょう。
ワイン専門店もありました。1月ということもあり、あまり活気がなかったですね。
世界遺産でもある、サント=マドレーヌ大聖堂。
教会を出て別の道を下ってみます。こんな小さなトンネルがありました。
美しい村は基本的にとても小さいので、迷う心配がないのもいいところ。
ドビュッシーの演奏などで有名だった指揮者、アンゲルブレシュトも多くの夏をここで過ごしたらしい。都会の喧騒から離れたこの環境は芸術家にとって重要だったことでしょう。
坂を下ったところにレストランやホテルもあります。
美しい村最大の欠点は、車でないと行きにくいこと。ただこちらはパリから近いこともあり、日帰りツアーなどが出ているようです。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 国民車
自動車が世に登場してからしばらくは、お金持ち(相当なレベル)のための存在にしか過ぎませんでしたが、生産技術の進歩などにより、自動車取得へのハードルは徐々に下がっていきました。とはいえ、多くの所謂庶民と言われる層には依然高嶺の花であることは間違いありませんでした。庶民に車を持たせるというのは、とくに戦前においては一種の夢物語だったと思います。
1938年から2003年までの長きに渡り製造され続けた、VWビートル。フェルディナンド・ポルシェ博士がヒトラーから押し付けられた難題を克服して完成させたくだりは有名なところです。実際のところ戦争勃発により、ビートルが一般家庭に行きわたることはなく、戦後まで待たなければなりませんでした。
戦前に設計されたとはいえ、その高い経済性や頑丈なところが高い人気を呼び、ドイツだけでなくなんと2003年までメキシコで生産されていました。1978年にドイツにおいて生産が中止となると、メキシコから欧州に輸出したほどでした。メキシコではタクシーとして多く使われており、Vochoの愛称で呼ばれていました。また2ドアなので、タクシーは助手席を取り外して営業していました。4人乗る場合は取り外した助手席スペースにしゃがんだりして乗車してしまうという、なんともメキシコらしい使い方をしていたそうです。
一方、同じドイツでもVWの工場のなかった東側になってしまった地域では、元々高級車メーカーであったHORCHの生産拠点を受け継ぎ、1958年にトラバントを登場させました。性能はビートルに比べ明らかに劣るものであり、それでも国民車の如く旧東ドイツを代表する車となった理由としては、当時の東ドイツにおいて一般市民の手に届きそうな車はこれしかなかった。というのが挙げられます。この車を手に入れるのにすら、何年も待ったそうです。ベルリンの壁が崩壊した際に東ドイツ国民がトラバントに乗って西側に入り、VWやベンツ、BMWなどと並走する姿を見た時には、共産主義国家の弊害を目の当たりにした気がしました。
こちらはトラバントの上位に位置する、WARTBURG353(ヴァルトブルグ社製造)です。1968年~1988年の間に製造されました。お役所や警察車両としても使われたので、一般の人が購入しようとすると10~15年待ちだったそうです。
1968年といえばアメリカではマッスルカー、日本では三代目ブルーバード、壁の向こうのBMWでは1500、フランスではシトロエンDSが登場して10年経過・・・しかし東ドイツではこのデザイン。競争相手がいないっていいですね。
テールランプ付けてトランクにも鍵付けました。とでも言いたげな後ろ姿。。。
壁崩壊後は当然消えてしまった東ドイツの国民車。ベルリンに行くと観光用にトラバントが走っていますので、乗ってみるのもいいかもしれません。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 TATRA
戦後、東側に組み込まれてしまい、かつ乗用車の生産から撤退してしまったので、知名度はあまりありませんが、戦前においては先進的な技術を誇ったメーカーのひとつにチェコのTATRA社があります。路面電車好きなら、東側諸国のタトラカーという車両名を聞いたことがあると思いますが、そのTATRA社です。
この格好いいリアビュー、1936年に登場したTATRA87です。空力性を重視し、CD値0.36という当時としては異例の数値を出しました。また2965ccのV8エンジンを後ろに搭載し最高気温155㎞/hを出しました。当時、このサイズの車といえば、フロントにエンジンが鎮座し、ボディは角ばったものばかりだったと思いますので、これを見た人の驚きは相当だったことでしょう。ドイツによる侵攻後はこの車もドイツ軍将校によって使われることにもなり、その高速性能を絶賛されたそうです。
前照灯はユニークな3つ目。どことなくビートルに通じるものがありますね。
このTATRA社、戦後は東側となりトラックや軍用車両、路面電車メーカーとして生き延びることとなりました。同郷のSKODAがVW傘下となり欧州各地で見かけるのですがTATRAは残念ながら見かけることはありません。
チェコにTATRAの博物館があります。トラックも見てみたいし、一度は訪れたいと考えています。
再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 GOLIATH
GOLIATH(ゴリアテ)といえば連想するのは、巨人・強力な兵士。といったところだと思います。
戦後のドイツにはこの名を冠するメーカーがありました。1928年にBORGWARDグループの一社として車両を製造していました。こちらがそのGOLIATHの名を冠するトラックです。1953年に製造されたGD750。750とは積載量750㎏とのこと、当時の小売り業者や小口配達業者に使用されていました。
こちらは時代を遡り、1931年に発表されたPIONIER。200cc程度のエンジンで最高速度は45㎞/h。当時としてはなかなかのヒット作でした。というのもこの程度の軽量な三輪車には免許が不要だったことや税制面での理由もあったようです。このような理由は現在でもよくありますよね。
emergency seatを使えば少人数の家族で使える。と説明書きにはありましたが、タイヤのすぐ後ろが開けられるようになっているので、ここを開けると座れるようになっていたんでしょう。
ちなみにBORGWARDは軍用車両で通称GOLIATHと呼ばれていたモノも製造していました。車両といっても実際はリモコンで動かせる(範囲は1.5㎞もあったそうです)小型爆弾です。電気モーターや小型のガソリンエンジンを搭載したものなど複数のタイプが存在していました。
この他高級車なども製造していたBORGWARDは、残念ながら1961年に倒産してしまいました。三輪車や小型爆弾以外のモノも見てみたいですね。
GRAND TRAIN
メトロ内でこんな広告を発見。10月16日までexpositionを行うようなので、早速行ってみました。入場無料というのも惹かれた理由なのは言うまでもない。地下鉄のMarcadet-Poissoniers駅(4号線&12号線)からほど近いところにありました。
SNCF(フランス国鉄)のdepot de la Chapelleが会場です。1845年にまでさかのぼるこの車庫ですが2014年に閉鎖となってしまい、将来的には住宅や学校、オフィスとなるようです。半年間のしかも無料のexpositionなので正直なところあまり期待はしていませんでした。
壁の落書き?にしてはよくできている。この車庫と同じ頃に終わりを迎えたZ6100がモチーフとなっています。
そして車庫内へ。
そして機関車達が!これには驚きました。無料とは思えない充実っぷり。
ミュールーズからわざわざ持ってきた機関車群。左の赤いのはパリとトゥールーズを最高速度200㎞/hで結んでいた、SNCFを代表する特急Le Capitole号を牽引していたBB9200機関車。2004年まで活躍していました。隣の緑色のはスイスとドイツに乗り入れできる仕様のBB20200機関車。こちらは2006年まで活躍していました。建物が幾つかあり、そこにはレストランやバーがあります。
車庫内でいっぱいやれるという素晴らしいひと時を過ごせます。
この椅子はZ6100から取り外したものですね。当時の備品をそのまま使っているにも関わらず、居心地いい雰囲気に仕上がっているのはさすがフランス。
更にこちらにも展示が!機関車やディーゼルカーの展示がありました。
入場無料とは思えない充実っぷりです。水曜日~日曜日の11時~23時30分の間に利用することができます。夕涼みに機関車眺めながら酒を飲み、往時に思いを馳せるというひと時が過ごせると思います。