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再びドイツへ。ドイツ博物館交通センター館 国民車

自動車が世に登場してからしばらくは、お金持ち(相当なレベル)のための存在にしか過ぎませんでしたが、生産技術の進歩などにより、自動車取得へのハードルは徐々に下がっていきました。とはいえ、多くの所謂庶民と言われる層には依然高嶺の花であることは間違いありませんでした。庶民に車を持たせるというのは、とくに戦前においては一種の夢物語だったと思います。

1938年から2003年までの長きに渡り製造され続けた、VWビートル。フェルディナンド・ポルシェ博士がヒトラーから押し付けられた難題を克服して完成させたくだりは有名なところです。f:id:norimononado:20160629051353j:plain実際のところ戦争勃発により、ビートルが一般家庭に行きわたることはなく、戦後まで待たなければなりませんでした。

f:id:norimononado:20160629051357j:plain戦前に設計されたとはいえ、その高い経済性や頑丈なところが高い人気を呼び、ドイツだけでなくなんと2003年までメキシコで生産されていました。1978年にドイツにおいて生産が中止となると、メキシコから欧州に輸出したほどでした。メキシコではタクシーとして多く使われており、Vochoの愛称で呼ばれていました。また2ドアなので、タクシーは助手席を取り外して営業していました。4人乗る場合は取り外した助手席スペースにしゃがんだりして乗車してしまうという、なんともメキシコらしい使い方をしていたそうです。

f:id:norimononado:20160629232506j:plain一方、同じドイツでもVWの工場のなかった東側になってしまった地域では、元々高級車メーカーであったHORCHの生産拠点を受け継ぎ、1958年にトラバントを登場させました。性能はビートルに比べ明らかに劣るものであり、それでも国民車の如く旧東ドイツを代表する車となった理由としては、当時の東ドイツにおいて一般市民の手に届きそうな車はこれしかなかった。というのが挙げられます。この車を手に入れるのにすら、何年も待ったそうです。ベルリンの壁が崩壊した際に東ドイツ国民がトラバントに乗って西側に入り、VWやベンツ、BMWなどと並走する姿を見た時には、共産主義国家の弊害を目の当たりにした気がしました。

f:id:norimononado:20160629051402j:plainこちらはトラバントの上位に位置する、WARTBURG353(ヴァルトブルグ社製造)です。1968年~1988年の間に製造されました。お役所や警察車両としても使われたので、一般の人が購入しようとすると10~15年待ちだったそうです。

1968年といえばアメリカではマッスルカー、日本では三代目ブルーバード、壁の向こうのBMWでは1500、フランスではシトロエンDSが登場して10年経過・・・しかし東ドイツではこのデザイン。競争相手がいないっていいですね。

f:id:norimononado:20160629051411j:plainテールランプ付けてトランクにも鍵付けました。とでも言いたげな後ろ姿。。。

f:id:norimononado:20160629051414j:plain壁崩壊後は当然消えてしまった東ドイツの国民車。ベルリンに行くと観光用にトラバントが走っていますので、乗ってみるのもいいかもしれません。