ベルリン旅行記 その7
最終日。
この日はまず、偶然ホテルの近くだったwall memorialへ。
まずは展望台から見下ろす、壁。手前が西で奥が東。西からは壁に近づけるが、東からは監視塔などがあり近づけない。建設当時は西側からの脅威に対抗するため壁を作ったなどと主張していたらしいが、監視塔を作り東側から容易に壁に近づけない構造から、むしろ東側の人間を国内に閉じ込めるために作られたとしか考えられません。
壁を監視する兵士も、西に脱出したということもあった。監視する兵士に監視を付け、それをまた監視・・・
犠牲になった人々。冷戦当時、壁がなくなるなんて思わなかったものな。
wall memorialの後、DDR博物館へ。
途中のガードを見て、有楽町付近を思い出した。
DDR博物館は大人気、ベルリンで並んだのは初めてでした。
博物館では旧東ドイツのモノがいっぱい。車のCMなんてものもあった。
猜疑心の強い共産圏。秘密警察(シュタージ)で国民を監視。東西ドイツ統一後、身近な人が実は秘密警察の協力者だったなんてことがわかったりして問題になったようです。
輝ける共産主義の未来を担うはずだった、少年少女。
タバコなどの嗜好品。
メディアは幾つかあったが、意見は全部一緒。見事な大本営発表っぷり。
子供用品と思われるが、あまりかわいくない。眉毛ないし。
周回遅れの政府公認ファッション。
そして、ペラペラの生地。
政府公認のエロなのか?裸でバイクに跨るというちょっとわからない状況。モデルも公務員なのかな?などと思ったりして。
意外なことにヌード文化が盛んだったようで。
親戚なのか友人同士なのか、みんな裸。
ソビエトのお友達と文通していたらしい。これはモスクワ五輪の熊のミーシャ?
東独⇔ソ連のホットライン。色々お伺いをたてていたことでしょう。
丁度、ホーネッカー議長が映っていた。
同じ事を何度も何度も聞かれる尋問、弁護士もなく誰にも会わせず。捕まったらおしまいって事だ。
尋問室のドアの分厚さ。外には何も聞こえないだろう。
独房。こんなところに閉じ込められ連日同じことを何度も聞かれる… 気が狂うね。
高級官僚達はボルボがお気に入りだった。ベンツじゃまずいし、アメ車はもっとまずい。平等や人民を謳った東独だけど、実際は党幹部などが特権階級となっていった訳だ。
DDR博物館を出て、市内をぶらぶら。こんな奇妙な建物があった。少し気持ち悪いと思う。
そして、再びテーゲル空港。
ルフトハンザのチェックインをBカウンターの自動チェックイン機で終えたあと、出発がDだったので、てっきり出発階みたいのがあるのかと思ったが、そんなものはなく、チェックインと同じフロアにあった。しかも一度建物の外に出てDに行くという、なかなか使いづらい造り。同じフロアの端から端へ移動するような形となってしまった。
無事に、Dゲートに到着。
来たときはあまり気づかなかったが、突貫工事らしい感じの内装。
この後、無事に帰宅したのでした。